はじめに
うちの母方の祖母、マツエ(仮名)はまあまあ変わっている。割とファンキーなおばあちゃんである。まあ、そんなファンキーババアマツエに、アラサーになってもお小遣いをせびろうとする私も中々にファンキーであると思うのだが、今回はこの『マツエ』についてのエピソードを何件か紹介していきたい。マツエももう八十を過ぎた。まだ元気に暮らしてはいるものの、この先あと何年私のことを覚えてくれているかわからない。私はなんだかんだマツエに世話になってきているので、マツエとの思い出をずっとずっと、大切に語り継ぎたいのだ。たとえ、それがファンキーエピソードであったとしても……。
1.私の生い立ちとマツエ
私がマツエを語るにあたって、まずは私の生い立ちを話さねばなるまい。私は、母と母の前夫である父サダヲ(この後に、現父も登場するため、便宜上前父のことは仮名で呼ばせてもらう)のもとに生まれた長女である。父方では初孫ではないが、母方では初孫であった。私は生まれた当初、母とサダヲそしてサダヲの両親と暮らしていた。私が一歳か二歳の頃、母が体調を崩し入院した。サダヲと共に私が母のお見舞いに行ったことは何となく今でも覚えている。確か、水仙の花を摘んで持って行ったと思う。まだ幼い私は、離れて入院する母が恋しく、ママも一緒に帰ろう! と駄々をこねた。しかし母が病院から出ることはもちろんできないため、母が私をなだめようとして、
「ママ、ここから出たらお医者さんにこんなに太い針の注射をお尻に打たれちゃう」
と、かなりの太さの輪っかを指で作って私に見せながら言った。(母はかなり下ネタに疎いため、たぶんこの時も私に母自身が病院から出たら怒られると言うことをわからせたかっただけなのだが今の汚れちまった私には下ネタにしか聞こえない)しかし、当時一、二歳の私にそんな脅し文句が通じるわけもなく、泣きじゃくりながら、
「いいよ!」
と即答した。母の言葉に動揺すらせずに。易々と母の尻を売り渡してでも、当時の私は母とともに帰りたかったのだろう。もちろんそれは叶わなかったのだが。
母が退院すると、母は父と別居を始めた。それがいつ頃のことだったか定かではないのだが、たぶん私が二歳の頃だと思う。母曰く、私が三歳の時には離婚が成立していたらしいのでおそらくその辺だろう。
ちなみに時系列バラバラで完全に余談ではあるが、母が離婚後、姓を旧姓に戻す際、私の姓をどうするか聞いてきた。私はそのセリフが今でも忘れられない。母は、私がまだ三歳なのにも関わらず、
「ぴょんちゃん、ママ、ばあば達の苗字の方がかっこいいから、ばあばたちとおんなじ苗字にするけど、ぴょんちゃんはどうする?」
と、私に今のままの苗字か、母の旧姓になるか選択させたのである。当時何の意味もわかっていなかった私は、
「ママとおんなじのにする!」
と即座に言った。言葉の意味が分かっていなかった私はさぞかし無邪気だっただろう。
さて、本編に戻る。ナチュラルに母がサダヲと別居を始めたため、気が付くと私は母と二人でオンボロアパートに住んでいた。かなりのボロアパートなので、二階に住んでいた私と母は下の階の住民に迷惑がかからないように静かに過ごしていた。そのアパートがあまりのボロだったので、その後、なんやかんやあって、母と私の二人で借家の一軒家に引っ越した際、私は開口一番にこう言ったのだそうだ。
「ママ、ここではぴょんぴょんしても大丈夫なんでしょう?」
と。このエピソード、本人である私はうろ覚えなのだが、今聞いても可愛らしいほっこりエピソードである。その日は思いっきりぴょんぴょん跳ね回っていたそうだ。私可愛すぎるわ。
そして私が小学校に上がる一年前ほどだろうか。年長さんの頃あたりに祖母マツエと、祖父、そして叔父のマダオ(仮)と、当時まだ健在だった祖父方の曾祖母(私は大きいおばあちゃんと呼んでいた)の住む母の実家に居候することになった。どうしてそうなったのかはよくわかっていない。そして、そこから約二年の間、祖父母達の住むロクヤインキョ(仮屋号)で生活をしていた。
余談ではあるが、マツエは母の小さいころからずっと民宿をやっており、私が高校二年生になるまでの間、母と私は夏になると民宿の手伝いをしていた。
小学二年生になる春休み、私は母の再婚で、母と共に隣の町の現父の家に引っ越した。とはいえ、所詮隣町なので、よく遊びに行ったり、当時習っていた習字の先生のところに週一で通っていたりもしていた。そして私が高校に進学するとき、高校が祖父母のうちからの方が近いということもあり、私一人居候させてもらっていた。この時にはマツエはだいぶ耳が遠く、意思の疎通ができないこともしばしばあった。そのこともあって、私が高校二年生の時に民宿をやらなくなったのだ。その後家を出て別の県の短大に進学。社会人になって戻った私が、一人で暮らすようになっても、お金がないとマツエのうちに泊まりに行き、ご飯を食べさせてもらっていた。何のアポもなく突然現れる私に文句も言わず止泊めてくれたマツエには感謝が絶えない。
さて、以上が私の大まかな生い立ちとマツエとの関係性である。次話からはいよいよ、マツエのエピソードをお楽しみいただきたい。
「このパンが焼けるまで」に収録されているエッセイ。我が家のおばあちゃんのお話でした。まだまだあるマツエのエピソード。第2弾も出したいところ。
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