努力のスプーン

―はじめに―

 努力 【読み】どりょく

目標実現のため、心身を労してつとめること。骨を折ること。「休まず―する」「―家」 広辞苑 一四三九七頁より。

人は皆、努力をする。そして、この世の中では、努力することを美徳とされている。さらには他者へも努力を期待する。努力はその人自身を輝かせ、成功へと導く。しかしその反面、その人の精神や体力を蝕む。

努力は良いことだ。推奨されるべきものだと思う。しかし、強要されるものではないとも思う。あくまでそれは任意であり、本人に負荷がかかりすぎない程度のものであるべきだ。なぜなら負荷の大きい努力はその人を良い方向へは導いてくれないのだから―――――。


―1.がんばれ―

 職場でよく、「頑張れ」と言われる。「頑張れ」と言われる度に、私は「頑張ります」としか言えず、もっと頑張らなければならない。と、頭で思う。だが、実際問題、何をどう頑張れば良いかなんてわかってはいない。正解なんてないのだから。どうしたら認知されるのかもわからない頑張りを、一体どうしたら良いのか。私は今日もその宙ぶらりんになった、「頑張ります」を両手にぶら下げながら仕事をする。そしてまた、新たな「頑張ります」を生産する。今までに「頑張ります」と何度言ったのだろうか。その度に私は、分からないなりに、宙ぶらりんなりに、なんとか頑張ろうとしてきた。自分なりに自分のことを認めてあげられるくらいには、頑張っていた。もがいて、あがいて、どうしようもないくらいに悔しくなって。それでも。もう少し、もう少しと自分を欺きながらここまで来た。何とか生きてきたのだ。

 

 そもそも人には、それぞれ「頑張る」の次元に大きな差がある。仕事を覚えるために頑張る人、目標を達成するために頑張る人。前を向くために頑張る人。じゃあ私は何を頑張っているのか。そんなのは決まり切っている。私は、「生きること」を頑張っているのだ。仕事を頑張る以前の問題である。周りが三次元なら私は一次元であるくらいの次元差だ。当たり前のように周りの人が仕事を頑張る中、私は社会に出て息をして、他人と話す行為そのものがすでに頑張った結果の成果なのだ。だから、頑張れと言われてもこれ以上の頑張りは無理、いや無茶だし、何ならほかの人たちが私に言う「頑張れ」の、その「頑張った先」にいったい何があるのか、本当に先があるのかでさえ、怪しいと思っているのだ。先の見えない「頑張れ」ほど、不安定でなおかつ不透明なものはない。「もっと頑張らないとこの先はないよ」「もっと頑張らないと成長しないよ」そんな言葉たちが私の心を蝕んで行く。穴だらけになった私の心臓の隙間からは、希望の光などが差し込むことはなく、穴のその向こうに広がるのも鬱々とした暗闇なのだろうな。と、ふとした瞬間に思う。こうして私は、また今日も憂鬱な思いで仕事へと向かう。仕事をしないと生きていけないが、仕事をすると生命が脅かされるなんて、人間はなんて生きづらいのだろう。なぜ私は、人として生を受けてしまったのか。夜になると産まれてきたことを後悔し、朝になると目が覚めたことに絶望する。元気が出るような音楽を両耳から脳内へと垂れ流しながら、気の進まない足を騙し騙し宥めすかして会社へと向かう。自分への応援歌によって何とか手に入れた空元気を片手に、職場の扉を引くのだ。

 「私は女優」そんな言葉を心臓に刻み、明るい声でにっこり笑ってこう言うのだ「おはようございます」と。


@幸福飯テロリズム

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